長崎大学医学部の理念が秀逸

医学部

九州の医学部を代表する長崎大学医学部。同部の理念となっているオランダ医学の権威ポンペ先生のメッセージが秀逸です。

長崎大学医学部の理念:ポンペ

医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい

ヨハネス・レイディウス・カタリヌス・ポンペ・ファン・メールデルフォールト

オランダ海軍医。ユトレヒト陸軍軍医学校で医学を学び軍医となった。幕末に来日、オランダ医学を日本に伝える。日本で初めて基礎的な科目から医学を教え、現在の長崎大学医学部である伝習所付属の西洋式の病院も作った。また、患者の身分にかかわらず診療を行ったことでも知られている。

長崎奉行所西役所医学伝習所において医学伝習を開始した1857年11月12日は、近代西洋医学教育発祥の日、現在長崎大学医学部の開学記念日とされている。

平成31年度医学部入学者へのメッセージ

医学部医学科、保健学科の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
 平成の31年間が終わり、新たな元号が始まる日本の歴史の節目にあたり、君たち同様、私も身の引き締まる思いでいます。
 入学にあたり長崎大学医学部が関わった日本の歴史における節目となる出来事を2つ紹介します。
 一つ目が、近代西洋医学の導入と確立です。海軍伝習と呼ばれた幕末における国家的プロジェクトにおいて西洋科学導入のために来日したオランダ人医師ポンペ・ファン・メールデルフォールトが医学伝習のための講義を開始した1857年11月12日は、日本における西洋医学発祥の日であると同時に長崎大学医学部の創立記念日でもあります。
 近代西洋医学教育の父と称されるポンペの長崎着任時の年齢はわずか28歳でしたが、1859年に西坂の丘で日本初の人体解剖実習を行い、1861年には長崎港を見おろす小島郷の丘に医学所と日本初の西洋式付属病院である養生所を設立・開院しました。
 「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。」ポンペが日本を離れるにあたり残したこの言葉は、長崎大学医学部建学の理念であり、我々が目指すべき医療人としての在り方を示しています。
 二つ目が、原子爆弾被害からの復興です。1945年8月9日、世界で第2発目の原子爆弾により、長崎医科大学と附属医院は壊滅状態となり、長崎市及び周辺の多くの方々と共に890有余名の大学関係者と学生らが犠牲となりました。自らも被爆するなかで原爆障害の研究に献身的に取り組んだ永井隆博士に代表されるように、世界で唯一原子爆弾の被害を受けた医学部として、様々な形で被爆医療に携わってきました。さらに東北大震災で起きた福島第一原子力発電所事故による原子力災害に対する医療健康管理活動支援や人材育成も推進してきました。
 このような歴史を背景に、長崎大学医学部は現代の様々なニーズに応じて先進的な医療技術と知識を備えた人材育成ができる医学部として今日まで発展し、近年では、新興感染症、熱帯医療、放射線医療、離島・地域医療以外にも、移植医療、がん医療、医工連携など多くの教育プログラムで成果を上げようとしています。
 長崎大学出身でノーベル化学賞を受賞された故下村脩氏は、「どんなに難しいことでも努力すればなんとかなる」という平易な中にも力強い言葉を本学の講演で残されました。
 君たちにとってこれからの学生生活は決して楽しいことばかりではなく、厳しい講義や実習を辛く感じたり、人間関係に悩んだりすることもあるかもしれません。
 真の医療人になるために大いに努力してください。それを我々も一生懸命サポートしていきます。

平成30年度医学部卒業生へのメッセージ

医学部医学科127名の皆さん、卒業おめでとうございます。ご列席の父兄の方々にも心よりお祝い申し上げます。
 平成が終わり新時代の幕開けという日本の時代の節目において、君たちは今、本学を卒業し医療人としての第一歩を踏み出そうとしています。
 これから君たちの医師としてのキャリアは新元号のもとで築かれていくことになりますが、それを取り巻く医療環境も新たな時代に向かう変革期を迎えることになります。
 私を含め本日ご列席の教授陣のキャリアのほとんどは平成の時代とともに形成されてきましたが、平成の31年間における医療界は数多くの技術革新により目覚ましい発展を遂げてきました。
 光学医療機器の進歩による様々な疾患における内視鏡及び血管内治療の台頭、移植医療の普及と再生医療におけるiPS細胞の臨床応用、がんドライバー遺伝子発見による分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害剤の開発、3Dイメージングや3Dプリンター技術の医学研究や教育への応用、内視鏡手術の一般化と手術支援ロボットの導入など、いずれも私が医師になった時にはその存在すらも認知していなかったものか、これほどまでに急速に医療現場に普及するとは想像もつかなかったものがほとんどです。まさに平成の時代が生み出した医療イノベーションと言えます。
 一方、医療制度においては、医療法の改正によりインフォームドコンセントが医師の努力義務として明記され、今では当たり前のように行われています。臓器移植法の施行により長らく暗黒時代が続いた日本の移植医療は幕開けを迎え、医師法第21条の見直しと医療事故調査制度の発足により医療安全への意識は変化し、管理体制の整備が全国で促進されました。
 この他にも臨床研究不正問題を発端とした臨床研究法の制定、National Clinical Database構築と新しい専門医制度の開始、時間外労働の上限設定が問題となっている医師の働き方改革など、いずれも大きな変革がなされようとしています。
 しかし、これらはまだ発足したばかりであり、これから実際の運用の中で改良され成熟していく必要があります。その担い手こそが君たちの世代であることを自覚しておかなければなりません。
 新元号のもとに始まる次世代医療では、ビッグデータを活用したAI導入や遠隔医療などのIoT化がキーワードと言われています。長崎大学でも来春には情報系の新学部である情報データ科学部が発足し、医療情報分野などでの医学部との連携を見据えた人材育成と相互発展が期待されています。これらが今後どのように医療現場に革新をもたらしていくのか大変楽しみでもあります。
 しかし、どんなに技術革新が素晴らしいものであっても、あるいはどんなに高度な医療技術を習得したとしても、それを制御していく医療従事者側の心構えが重要であることは言うまでもありません
 「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。」
 長崎大学医学部の理念であるポンペの言葉を今一度、胸に刻んでください。
 常に患者に寄り添い良心に基づいた公正な医療を行っていかなければならない責任が皆さんにはあることを決して忘れてはなりません。

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